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  更新時間 :2006年01月08日17:10 (北京時間) 文字

「残された遺産は5100元」 周恩来総理の没後30年



















  故・周恩来総理が病のため78歳で死去した1976年1月8日から、きょうで30年が経つ。

  1898年に江蘇省淮安市に生まれた周総理は、若い頃日本に留学した経験を持つ。1919年、天津で「五四運動」に参加。1920年からフランス、ドイツを訪れ、働きながら勉学に励んだ。1921年に中国共産党に入党。帰国後、中国革命に身を投じ、指導に当たった。国家富強、民族繁栄、国際交流のために心を砕き、自らを捧げる一生だった。

  米国の中国系歴史研究者、唐徳剛教授は「近代外交において、中国では『2.5人』の外交家が出た」とした上で、うち「1人」が周総理だったと述べる。周総理死去の知らせを聞き、130カ国の政党・政府指導者から弔電や弔文が届いたが、当時中国と国交のあった国は103カ国に過ぎなかった。また、世界主要国の新聞社や放送局のほとんどが、ただちに訃報を伝えた。周総理に対する人々の評価は、政治的な立場や時空、イデオロギーを超越しており、単なる「外交家」の3字では言い表せないレベルに達している。

  中国に対する周総理の貢献は数え切れるものではない。周総理にまつわるエピソードも山のように残されている。一方、周総理の残した遺産も、すでに明らかになっている。

  周総理の死後、周総理とケ穎超夫人の帳簿整理に当たった人によると、周総理の当時の所得は、給与と給与振込口座の預金残高に対する利子のみだった。支出は、食費、党費、家賃、新聞代、日用品、親戚への仕送り、職員への手当て、寄付金などがあった。残された貯蓄は、夫妻合わせてわずか5100元。中華人民共和国最初の総理がこの世に残した遺産は、驚くほど少なかった。(編集UM)

  「人民網日本語版」2006年1月8日



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